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2004/11/26(FRI) 『餓えていた・・』 今 三郎

 飢餓感が始まりだった。札幌、北海道には、「プロスポーツ」(プロスポーツ・エンターテインメント、といったほうが的確)が、なかったのだ。
 1990年頃、十勝インターナショナルスピードウェイに4万人の観客が集まった、という。この4万人という数字、主催者発表なので、ややまゆつば的ではあるが、北海道スポーツイベント史上では、1972年札幌冬季五輪の90b級ジャンプと並んで、当時までの最大級の動員となる。70b級で金銀胴を独占した日の丸飛行隊の余韻が残るオリンピックイベントと同じというのは驚くべき観客数と言わざるをえない。
 この日夕方の日勝峠が相当な渋滞になったとも言われており、確かにかなりの人数が集まったことは確かだろう。このイベントとは、引退したF1レーサー中嶋悟によるデモ走行だった。当時すでに日本国内の熱狂的なF1人気は下り坂だった。セナ、プロストといったスーパースターは去り、10誌以上あったF1関係の週刊誌はなくなっていた。
 それ以前、日本全国がF1ブームで盛り上がっていたころ、北海道では情報だけが、テレビ、新聞、雑誌ではんらんしていた。鈴鹿は遠すぎる。ブームの熱さに触れることができなかった餓え。そんな北海道ファンが、すでにスターの輝きは失いかけた中島見たさに、十勝に集合した。北海道にとっては、ちょっと寂しい動員だった。

 ずっと餓えていたのだ。プロ野球も年間数試合だけ。テレビでは巨人戦だけが放映されるから、札幌円山球場での巨人戦はイベントだった。東京を中心に発信されるプロスポーツ・エンターテインメントに対して、北海道にいて楽しむ術を知らないでいた。飢餓を自覚できないでいた。

 思い知らされたのは、サッカーだった。92年、「ドーハの悲劇」はサッカーというエンターテインメントを圧倒的に日本全国に浸透させた。その情熱はJリーグ発足を熱狂的に後押しし、ホームタウンとなった都市に分散してさらに燃えあがった。ようやく北海道では、ハラペコだったことに気がついた。テレビや新聞から流れてくるJリーグの情報だけではなく、自分達が目の前で燃えあがることができない物足りなさを思い知った。
 これが、コンサドーレを生んだ原動力だ。東芝サッカー部を招致し、札幌でプロスポーツが誕生した。中央に対するローカルの自己主張は、札幌ばかりではない。仙台、新潟もまったく同じ飢餓感が、それぞれの成功の源になっている。
 札幌でコンサドーレが活躍すると同じ頃に誕生した「よさこいソーラン」が爆発的な人気となっていったのも偶然とは言いきれない。札幌にも本当に大衆が参加する「祭り」はなかった。これも、餓えていたのだ。

 今や北海道には、コンサドーレばかりでなく、日本ハムもある。舞台となる札幌ドームもある。じゃあ、我々はお腹いっぱいになったのだろうか? 
 浦和レッズが初優勝した。ある意味、首都圏ながら東京ではない、浦和という町の飢餓感が、あれだけのレッズサポーターの魂だったのではないだろうか。
 では、我がコンサ・サポーターの魂はどこへ漂白しているのだろう。J2で低迷するコンサドーレ。これで、シラケるのか? もっとお腹いっぱいのディナーを欲張るのか?

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